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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [13]




 親切過ぎる。
 同じような言葉を、どこかで聞いたような気がする。
 いや、どこかではなく、まさにこの屋敷で聞いたのだ。火事で住む場所を失った美鶴母子に手厚い援助を申し出てくる霞流慎二。そんな彼の態度の何が不満だったのか、聡はブスリとした表情でこう発言した。

「良く言えば世話好き。悪く言えばお節介ってところか? 親切で自己満足」

 困った人を見過ごせないのは、この家の者の血筋か? いや、幸田さんはただの使用人だからそういう問題ではないか。
 いつの間にか眉を潜めて考え込む美鶴の仕草に、幸田は肩を竦めてそっとため息をつく。そうして、大きく息を吸った。
「やっぱり、変ですよね」
 とても小さい声だった。まるで呟くような声。だが、静かな部屋にはそれでも十分。
「普通に考えたら、少し変ですよね」
 そう言って、上目使いに美鶴を見つめる。
「えっと、まぁ、ちょっとびっくりはしてますけど」
 なぜだか相手の瞳に違和を感じ、美鶴は戸惑いながらもそれだけを答える。
「やっぱり、少し強引過ぎましたでしょうか?」
 今度は自嘲気味に笑う。
「私、美鶴様のお姿をお見かけすると、どうしても放っておけなくって」
「え?」
「だって」
 言いながら再び幸田の頬が紅潮する。
 え? え? 何?
 パチパチと瞬きをする美鶴。その姿を、少し恥じらいながら見つめる幸田。
 えっと、これは、何だ?
 しばし思案し、頭を回転させ、そうして改めて幸田の瞳を見返す。
 上目使いで、少し恥ずかしそうに瞬きながら、自分を見つめる年上の女性。
 見つめ、られている?
 途端、美鶴の身体が硬直した。危うくカップを落しそうになる。
 こ、こ、これは、ひょっとして、ひょっとして?
 いやいやいや、まさかそんな事があるワケがない。
 頭に浮かんだ仮説を否定しようと試みる。だが目の前の麗しい瞳が、その試みの邪魔をする。
 これは、これは、恋する瞳っ!
「あ、あの」
 できるだけ不自然にならないように頑張りながら、それでも引き攣ってしまう口元に無理矢理笑みをのぼらせる。
「あの、こ、幸田さん?」
「やはり、わかってしまいます?」
 わかってしまいますって、じゃあ、やっぱり?
 ゴクリと生唾を飲み込む。
 ちょっと待て。この展開は何? 今日は厄日? それとも仏滅? おみくじ引いたら大凶が出そう。朝からちょっと騒がし過ぎるんじゃない?
 目の前がクラクラする。
 初めは聡。次に瑠駆真。そうして今度は幸田さん? いやぁ、私ってモテモテ。って、そういう問題じゃないってばっ!
 私にはそんな趣味はない。これは下手に相手の気持ちが盛り上がってしまう前に、キッパリこちらの意見を述べておくべきだろうか? そうだ。それがいい。そうすべきだ。せめて幸田さんに対してくらい、こちらの態度はハッキリさせておくべきだ。
 言い聞かせ、知らぬ間に乾いてしまった唇を舐めて体勢を整え、ゆっくりと息を吸った。
 だが、先に口を開いたのは幸田だった。
「わかってしまいますよね」
「えっと」
「申し訳ないとは思っておりますの」
「あの」
「届かぬ想いとはわかっておりますのよ。でもね、やっぱり私、そう簡単には諦めきれなくって」
 諦めきれない。その気持ちはよくわかる。今の私にはよくわかるよ。でもね。
 心内では言葉が出てくるのに、それをうまく口から出す事ができずに焦る一方。そんな美鶴へ向かって、幸田はついに身を乗り出してしまう。
「美鶴様」
「は、はいっ」
 カップを握る手を両手で包まれる。
 ひゃぁぁぁぁっ!
「美鶴様、私、やっぱり心の内に(とど)めておくなんて、そんな事はできません」
 留めてくださいっ!
「だから聞いて欲しいのです」
 それはダメッ!
「美鶴様、私っ」
 やめてぇぇっ!
「私、お母様の事が好きなのです」
 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
 って、ん? お母様?
「おかあ、様?」
 ポカンと口が半開きになる美鶴の視線に、幸田はもう頬を真っ赤にして大きく頷く。
「私、詩織様の事が好きなのです。ずっとずっとお慕いしているのです」
 詩織? な、なぁんだ。詩織か。私じゃないのか。あぁ びっくりした。私はてっきり自分が好かれているのかと思ったから、って…………
 詩織様? 詩織? しお―――
 ………
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 美鶴の絶叫にも幸田は頬を真っ赤に染めたまま。可愛らしく頷くだけ。
「しお、しお、しお…」
 塩ではない。
「しおりって、お母さん?」
「はい」
「私の?」
「はい」
「あの、おばさん?」
「おばさんだなんて、素敵な方ですわ」
 うっとりとした表情で両手を胸の前で組む幸田。
 素敵な方? あの超自己中心的お気楽妖怪が?
 あんぐりと口を開けたまま絶句する美鶴をよそに、幸田はまさに恋する乙女の瞳で嬉しそうに話す。
「初めてこの家へお越しになられた時から、ずっとお慕いしておりましたの。あの自由奔放で陽気な物腰。ご自分を飾らない自然体なご発言。人生を謳歌するかのごとく常に活き活きと歩かれる様は、もう本当に見ていて心惹かれてしまいますわ」
 あぁ、瞳がハートになってるよっ!
 陶酔したかのような目に(おのの)く美鶴。その態度に、幸田はハッと我を取り戻した。そうして少し身を縮こまらせる。
「あの、ひょっとして、このような系統の人間には拒否反応を示してしまうタイプ、だったりします?」
「あ、あぁ、えっと」
 少し寂しそうに首を傾げる仕草に、美鶴は慌てて両手をブンブンと振る。
「いや、あの、そんな、そんな事はない。うん、ないない」
 そうだ、そうだ。世の中にはいろんな人がいる。別に誰が誰に対して想いを寄せたって構わないじゃないか。恋は自由だ。個人の自由だ。誰かに迷惑を掛けているワケじゃあないんだし。
 頭ではわかっている。メディアなどでこのような(たぐい)の内容を取り上げられても、美鶴は特に嫌悪は感じない。
 そう、頭では認めている。頭では認めているのだが。
 話で聞くのと、実際に面と向かい合うのとでは、やっぱり違う。しかも相手は自分の母親だし。
「申し訳ありません。やっぱり、嫌な思いをさせてしまいましたね」
 深々と頭を下げられ、美鶴はさらに焦ってしまう。
「あ、いえ、別に、そんな、こちらこそすみません。別に個人の自由だと思うので、幸田さんに対して嫌な思いをしたなんて、そんな事ありません」
「本当に?」
「ほ、本当です。本当です」
 上擦りそうになる声をなんとか整える。
「ただ、いや、あの、個人の自由だとは思うのですが、なんでまた、その、ウチの母なのかなっと思いまして」
「え?」
「だってウチの親、ほら、あんないい加減で自己中心的な人間、あんな人間の事が好きだなんて言う人がいるなんて」
 そうだ、それこそが驚愕の原因。最大の疑問。同性を想うかどうか以前に、なんで相手がよりによって、アレ?
「そこにビックリしたって言うか」
「まぁ、いい加減だなんてとんでもない」
 幸田は声を大にして反論する。
「詩織様のように天真爛漫で朗らかな方、滅多におられませんわ。もうそのお姿を思い浮かべるだけで心が明るくなります」
 天真爛漫? ただ何も考えていないだけだと思うのだが。
 突っ込みたいが、虚ろな表情で心をトキメかせる幸田を見ていると、苦笑いしか出てこない。







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